大切なコト 2
「んっ、ちょっと待って、紙に書くから…」
「はぁ……」
花沢物産専務の重役に似つかわしくない行動を、苦笑いで眺める秘書の田村を尻目に、小さなメモ帳にサラサラと忘れてはいけないコトを書いてポケットに突っ込んだ。
「さ、行こうか」
スーツのポケットの上からメモ帳をポンポンっと叩いて歩き出した俺の後ろを、秘書らがわらわらと続く。
本当に大切なコトは、絶対に忘れないようにちゃんとメモして持ち歩く。
いつからか身についた習慣。
他人に無関心で人の名前も覚えられない俺に、「人の名前くらいちゃんと覚えなさい!大切なコトはちゃんと紙に書いて持ち歩けば忘れないのよっ!」なんて言って、ことある毎に小さなメモを書いて渡してくれた彼女の影響だ。
別に覚える必要もないし、興味がないから覚えないだけだったんだけど、真面目でしっかり者の彼女らしい言葉が楽しくて、言われるがまま小さなメモをとるようになった。
不思議なコトに・・
彼女と離れ離れになっても、身についた習慣だけは残った。
ことあるごとにメモを取る俺を、秘書らは不思議そうに見るけれど、すっかり身についた習慣はなかなか抜けないし、そう悪い習慣でもない。
それに、自分の中に息づく牧野の一部が地味に嬉しかったりした。
メモに取るのは大体、会食の相手の会社の社長の名前だったり、重要な会議の議題だったりするけれど、本当に大切なコトはずっと前からメモにしていつもポケットに隠し持っている。
そんなことしなくたって忘れるはずなんてないのにね……
いい大人の男がこんなおまじないのようなコトをするなんて馬鹿げている…そう思わないコトもないけれど、ポケットに手をつっこむ度に、指先に触れては感じる「大切なコト」の感触がすっかり馴染んで手放せなくなってしまったんだ。
**
「専務は几帳面でらっしゃいますね」
「ぶっ」
エレベーターに乗り込んだ途端、秘書の田村が言った言葉に笑ってしまった。
_几帳面とか・・ありえない。
実際の類から最も遠い評価におかしさがこみ上げてくる。
急に笑い出した俺を田村は不思議なものを見たというような驚きの表情で見上げてくる。
そりゃそうだろう……
声をあげて笑ったのなんていつ以来だろう?自分でも思い出せないくらい遠い昔だ。田村が驚くのも無理はない。
こっちに来てから…いや、俺が感情を表すのはいつだって牧野に関するコトだけなんだ。牧野によって身につけられた習慣が俺にありえない評価をもたらした…それが妙におかしくて思わず笑ってしまった。
くつくつと堪えきれずに込み上がってきた笑いを「コホン」と一つ咳払いでごまかすと、ガラス張りのエレベーターから望むパリの街並みを一望する。
すると、目の前のビルの表面に設置された大型ディスプレイにニュース速報が流れた途端、画面が切り替わり、何年も直接顔を合わせていない幼馴染の仏頂面が映った。
_どうして・・?
音声こそはないが、字幕スーパーで流れるその記者会見の内容に、一瞬にして身体中の血液が沸騰した。
「あれは…道明寺様ですね」
表情を強張らせ画面を食い入るように見つめる類の視線の先にあるものに、気がついた田村が漏らした言葉に、今目の前に映し出されている映像が、フィクションなんかじゃなく、現実なのだと改めて知らされる。
「……」
スラックスのポケットに差し込んだ指先に「大切なコト」が触れる。
_牧野は今どうしているのだろうか。
いつの間にか馴染んでいた筈のソレをギュッと握りしめて口を開いた。
「田村…明日にでも日本に帰るから手配してくれる?」
「はあっ!?」
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