幸せのセオリー 32
どのぐらい眠ったのだろうか。
時計を見るとお昼はとうに過ぎていた。
きっとお昼には部屋をノックしてくれたと思う。それすら聞こえないほど熟睡をしていたようだ。そして、眠る前よりもさらに具合が悪く感じるのは、空腹のせいだろうか。
胸のあたりがムカムカとして身体がだるい。
「風邪ひいたかな」
額に手をあててみるが自分ではよくわからない。部屋を出るとすぐに使用人さんがそばにきて食事は部屋に運ぶか聞いてきた。
空腹ではあるが食べたいという気分ではない。オレンジジュースだけお願いし、疲れが出た程度だからくれぐれも大げさにしないでと念押しした。
道明寺にでも連絡をされたらすぐに帰ると言い出しそうだ。
ゆっくり休めるというのもあたしにとってはスペシャルデーなわけで仕事を終えて戻ってくるならまだしも無茶をして帰ってきたら余計に具合が悪くなる。
オレンジジュースとゼリーをもって部屋に使用人さんが来たときは何でもない素振りをしてしまった。
ストローでオレンジジュースを流し込むと少しばかり生き返る。何も死にそうなほど不調なわけではないが、だるさと吐き気がして食べることの大好きなあたしがゼリーすら完食せずに再びベッドへと戻った。
「夕べ何を食べたかな」
腹も身の内と知りながら出される食事の美味しさに腹八分目という言葉を忘れる。身に覚えがあり過ぎで贅沢病だと苦笑いが出る。
少し時間が経過すると当然のようにあたしのお腹は空腹であることを伝えはじめ勢いよく起き上がると
「やっぱりこれは食べるべきよ」
もう食べ物を目指して一目散という感じでキッチンへと向かった。
キッチンは使ってもいいと言われている。クレアと一緒にシェフに料理を習うこともあるが、冷蔵庫にある品物は見覚えのないような代物があまりに多く秋刀魚より何倍も大きい魚との遭遇は驚きだった。
自分で作りたいといえばそれを止められることもない。申し訳ないほど助手のようについてくれるがシェフの手に任せたらこの食材はハリウッドスターのように全てが完璧に仕上がったはずだと思うとお詫びの一言も言いたくなる。人に食される元へ生まれたものたちがまさに最後の望みとしての成仏はどうしたってシェフから作り出される料理でそれこそ御曹司やご令嬢のように育てられた食材があたしの手にかかると庶民としての最後を迎える。
あたしの胃袋もまたシェフの手で作り出される料理をたいそう気に入っている。それでも一度いらないと言った手前、やっぱりというのは気が引けるがお作りしますよという言葉に申し訳なさと同じぐらいの期待をもっている。
だが今は、そのどちらでもいいと思うぐらい空腹だった。キッチンの近くにいくと甘い香りがしてきた。バニラエッセンスの香りはお茶に出されるプリンだろうか。
想像しただけで頬が緩み足を踏み出そうとするとどうしたことだ。その匂いだけで吐き気がする。せめてそのプリンの姿を確かめたいと思うのに、まさかの吐き気で慌てて部屋へ戻った。
「食べるなってこと?」
食べたいのに食べられないという何の虐めかと思うぐらいに恨めしい。プリンはお茶の時間でいいのよ。誰を説得してるのかわからないがブツブツとひとりごちるしかない。
そうしてる間にも何度となく吐き気がこみあげてきて本気で泣きそうだった。ぐったりとしてベッドで横になっているとノックが聞こえ
「お茶をお持ちいたしましたがお召し上がりになれますか」
「もちろん。そこに置いておいてください」
出来るだけ元気に答えたが絶対的に涙目になっているのがわかって顔を出すことはしなかった。もう意地でも食べるという戦意にも似た感情で起き上がるのは朝からろくに食べていないというあたしにはありえない危機的状況だからだ。
テーブルに近づくと甘いバニラの香りがして目は欲するのに再び収まりかけていた吐き気があたしを襲う。
「もしかして匂いが誘発してる?」
食べたいという欲求が上回るのは元気がないわけじゃないからだ。
吐き気さえなければすぐにでも食べたいんだ。
鼻をつまんでスプーンでプリンをすくって口の中へと滑らせるほど予想通りのプリンはあたしを魅了していた。
だが、味はしない。
悲しいぐらい味が感じられない。絵に描いた餅ならまだしも口にいれた極上のプリンの味がしないのは諦めきれない。そこまでしてるのに、再び襲う吐き気にあたしは再び洗面所にかけこんだ。
これは困った。本気で困った。
売薬というものをこの邸では使用しない。体調が悪ければ医者を呼び薬をいただくという非常に丁寧だが厄介なシステムだ。整腸剤か胃薬を飲んで横になっていれば治るこの状況なのに大事になりかねない。香港にいる道明寺の耳に入ることは何が何でも避けなければならない。絶対に言わないでとお願いしても、何かあったらすぐに報告しろという道明寺からの指示の方が優先される。
口を濯ぎながら誰もが知っている大好きなプリンを完食してないということがどれほどまでに大事になるのかと思うと鏡にうつる自分に
「どうしよう」
問いかけながらため息がこぼれた。
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プッチンプリンはプッチンして食べる派
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