幸せのセオリー 49
「つくし、大丈夫か」
大声とともに部屋のドアが開いた瞬間、あたしは襲ってきた陣痛に身動きひとつ出来ない状態だった。
それはまるで何かに救いを求めるように腕を伸ばし固まった状態で痛みを堪えていた。返事をしたくても顔をあげたくても強くなっていく痛みは予想以上で意思通りの動きは封じられる。それでも耳だけはちゃんと機能をしていてあいつが慌てている様子もタマさんに煩いと怒られている様子もわかるけれどどうにも出来ない。だけどそっと握ってくれた手が大丈夫だとあたしを元気づける。
どれほどの時間が経過したのか定かではないが、痛みが過ぎると何でもなかったように呼吸もラクになり動くことも出来る。
「お…お帰り」
「痛ぇか」
「いや、今はもう大丈夫」
さっきまでと打って変わって何でもない顔をしているあたしを不思議そうな顔で道明寺は見つめた。
「いきなりドンって痛くなってその間は動くことも出来ないけど過ぎると何でもない」
「何だそれ」
「何だそれって陣痛よ」
今はもう笑う余裕さえある。
「あとどのぐらい続くんだ」
「そんなのあたしが知りたいよ」
「だな」
少し困ったような笑顔を浮かべる道明寺の頬に触れながら
「母になるって大変」
「悪ぃな」
「でも特権でもあるから」
触れていた手に道明寺の手が重なるとそっと握りしめたあと指先に唇を寄せ
「これだけは代わってやれねぇからな。頑張れよ」
その言葉にあたしはしっかりと頷いた。タマさんに次の陣痛が来る前に車へ乗るように言われ道明寺に支えられながら廊下を歩く。
使用人さんたちに励まされ今はお腹の中にいる牧野が次に邸に戻る時には腕に抱かれている事を想像する。
開けられたドアからリムジンに乗り動き出した途端に襲う痛み。再び声を発することも動くことも出来なくなると道明寺は肩を抱くようにしながら痛むお腹を擦ってくれた。とっさに掴んだ道明寺のスラックスが痛みが去った後には皺になっていて
「ごめん」
それを伸ばすように撫でるあたしを道明寺は笑った。そして
「どうせなら手を掴め」
そう言って次の陣痛に備えしっかりとあたしの手を握ってくれた。
病院に到着して診察のあと陣痛室で横になる頃には、痛みの波と波の間隔がずいぶんと短くなってきた。
「また痛いか」
「う…」
痛みを逃せだの難しいことを言われたってそんなこと出来るわけもない。そのうちにいつ痛いのかいつ痛くないのかさえもわからなくなってきた。
「つくし頑張りなさい」
知らせを聞いてかけつけてくれたママの声が聞こえたけど返事の声もままならない。
「おい、こんなに痛がってんのにまだか」
道明寺の大きな声が聞こえた。だけどそれはあたしに言っているんじゃない事はわかる。だってあたしの頭を撫でる手のひらはどこまでも優しい。
「ど…道明寺…あんたが…憎くならないと産まれないらしい」
やっとの想いでタマさんに聞いた言葉を伝えるとその通りというママの笑い声が聞こえた。
だけどどんな時でも言葉には気を着けなきゃいけなかった。
「つくしどうだ。俺が憎いか」
痛みを堪えるたびに道明寺はあたしに問いかける。
「まだ…」
そう答えるのが申し訳ないぐらい憎さがわいてこない。
つくしと呼ぶ道明寺もいつの間にか牧野と声をかけ始めたがそう呼ばれる事が何だか嬉しくて一言であたしとお腹の牧野を同時に励ます。こんなあいつを憎いと思う瞬間が本当に来るのだろうか。
いったい何時間この状態が続いているんだろうか。いったいいつまで続くのだろうか。道明寺が憎いと思うまであとどのぐらいの時間がかかるんだろう。
「喉が渇いただろ」
道明寺があたしの口にストローを近づけてくれて少しずつそれを飲み込む。
「こんな…あんたを…どう…やったら…憎いと…思え…るの…」
「嬉しいその言葉が今日ばかりはがっかりだ」
その声色が本気でがっかりしていて笑う余裕なんてなかったのに思わず笑みが浮かんだような気がする。
昼少し過ぎに病院へと入ったのに聞いた時刻は日付が変わろうとしていて
「あんた…し…仕事ある…でしょ…」
「そんなのはどうにでもなる」
いつもなら腹がたつその言葉すら嬉しくて涙が滲む。
「そろそろ分娩室へ移動しましょう」
助産婦さんに声をかけられた時にも
「まだだと…お…思います…に…憎くない…の」
途切れ途切れになる声で訴えると
「ご主人、お幸せですね」
苦しいあたしをよそに赤ちゃんの心音の音が響く陣痛室は笑い声も重なった。
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明日がラストの予定
まだ書けてないand終われるのか不明過ぎる。
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